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【患者対応】リハビリらしいことができていないと悩む言語聴覚士へ

STコラム

こんにちは。かづおです。
2022年最初のブログを書いています。

先日、訪問リハの同僚がこうボヤキました。

「ぜんぜんリハビリらしい事できなくて…」

この一言だけだと状況は分かり難いですが、患者さんをどうにかしたいという気持は伝わってきました。

かづお
かづお

私も同じことを思うときがあります…。

ただ、なにをもって『リハらしい』と考えるのか?すこし自分の気持ちや考えを書いていこうかと思います。

【患者対応】リハビリらしいことができていないと悩む言語聴覚士へ

同僚によると傾聴的なリハが続いており、訓練らしいことができていないとのこと。

自身の「リハビリ像」から乖離しているらしく「これでいいのかな…」と、現実との食い違いに悩んでいる様子でした。

かづお
かづお

マジメなSTほど悩みやすいかも…。

個人的には「これでいいのかな」と悩めているうちは、その対応で良いのではと思うのです。

なにごとも向上心のある人は、一定の不安が付いて回りますもの。

患者さんにとっては、リハビリよりも大切なものがある?

STが考える理想的なリハってなんでしょうか?

かづお
かづお

ベストな訓練ってあるのかな?

わたし個人はたぶん無いとおもっています。

もちろん評価上必要なプログラムは実施すべきです。ですが、系統的な機能訓練ばかりがその人に合うとも限りません。

リハを構築するにもまずは土台作りからスタートという方もいますよね。

寄り添うところから進めていく…とか。

とかく私は「傾聴的な時間」はかなり重要だと考えています。

ST側にとって『これってリハなのかな?』といったプログラムだとしても、患者さんにとっては必要な時間かも知れません。

このことに追随して、ある外科医の先生がこのようにいいました。

医療は患者中心であって、なにをもって医療とするかは患者さんが決める。エビデンスなどの基礎的な知識はそのニーズに応えるためにあるのだ。

こころに響いたことばでした。

さて、ここで私個人の経験をお話していきます。

機能訓練に拒否を示したYさんとのリハビリ

私にとって思い出の患者さんです。

Yさんは重度の右片麻痺50代男性で、もともと先輩STが担当していました。

Yさんは次第に「リハビリが怖い…」と訓練を拒否されるようになり、諸事情から担当STを変更。

変更後は私が担当することになりました。

リハビリって「機能訓練」なの?

はなしの結論をいうと、Yさんとのリハビリの多くは『フリートークや外気欲などが中心』で、系統的な訓練はわずかだったといえます。

フリートークは「系統的訓練」に含まないという意味ではありません。

「そういうケース(対応)もあるだろう」と思われるかも知れませんが、患者とセラピストとの総合的な相性は無視できません。

私はYさんと接するところからスタートしました。

リハビリでないような、STリハを通じて

はじめの内はほとんど「リハビリらしい」とはいえませんでした。

幸いかんたんな日常会話はできたので、お互い好きな趣味などを語り合う、まるで談話のような時間がつづきました。

かづお
かづお

和やかな時間でした。

YさんがSTリハを拒否した理由は「機能訓練」そのものでした。

「リハビリ=難しいことをやらされる」という心理的な負担を感じられていたのです。

このへんは高次脳的な影響もあるでしょうが、セラピスト側の対応としては「機能訓練への誘導」はまだ早かった。

Yさんにとっては先ず、ヒトとのふれ合いを通じて『心の安定性』から構築していく必要があったのかと思います。

Yさんの涙

あくる日、Yさんと外気欲のため病院近くの広場へと向かいます。

いつもの様子と違うYさん。
Yさんはそこで急に泣き出してしまいました。

お、れ…良くなるの、かな…

涙ながらも、たどたどしく、そういわれるYさん。私はなんて返事をしたか覚えていません。

ただただ、沈黙の会話が続きました。

しばらくして私はYさんに「ことばのリハビリをしてみませんか?」とつたえました。

この日以降、Yさんと本格的なリハビリを開始。

次第に訓練室への移動に抵抗感を示さなくなり、最終的には緩やかな改善へといたりました。

さいごに

Yさんとのリハには感慨深いものがあり、これまで「イメージしてきたリハビリ像」を刷新するきっかけになりました。

STが養成校時代に心理的な科目が多く設けられていた理由についても、いままさに理解できます。

この記事が、リハに悩むSTの何かしらの発見になれば幸いです。

では。